2007年7月 4日 (水)

浦川さんとこのお弁当

2006_06300106 今回は、私がいつも楽しみにしている「浦川さんとこの弁当」の話をします。

浦川さんのお店は、川下りの終点、沖の端の水天宮さんの前にあります。白秋先生が通った矢留小学校や沖の端の漁港等も近くにあって、白秋先生の時代の趣をもっとも濃く残している一帯です。

浦川さんの店は、そもそもおかずの店で、お昼時、夕食時ともなると、近くの人達で賑わいます。私は、このお店で「お昼の弁当」を特に作ってもらいます。

実は、船頭さん達が苦労工夫しているのに、「お昼の弁当」があるんですね。私の会社の船頭さんは、皆さん「愛妻弁当」、「愛情弁当」(独身の船頭さん)を持参してます。これには、訳がありまして、いつでもどこでも昼食をとる為なんです。昼食をとる時間は、概ね川下りのお客様が多くなる11時前ですが、それより前にお客様が見えると、当番に当たった船頭さんは、弁当携行で船にのります。そして、一仕事終えた後、適当な場所を見つけて昼食をとります。何しろ船頭稼業は体力勝負ですから昼食は欠かせません。「愛妻弁当」・「愛情弁当」は、生活の知恵でもある訳です。

弁当を作る能力の無い私は、お客様を乗せて下った後、浦川さんとこで弁当を作って貰っています。他の船頭さんに負けない位、浦川さんご夫婦の愛情が一杯に詰まった弁当です。

2006_05110086 浦川さんご夫婦は、揃って働き者で、ぬくもりをたっぷり持ったお二人です。弁当が出来上がるまでの短い時間に、お二人と色んな話をしますが、会話をしているうちに、昼からの力が漲ってくる、そんな私の元気の素でもあります。

ところで、柳川では、沖の端の漁師のことを「六騎」(ろっきゅう)と呼んでいますが、これは、壇ノ浦の後、沖の端に逃げ落ちてきて、漁師となった平家の騎馬武者六人を指して呼ばれているものです。

実は、浦川さん、この六騎の一人、「浦川天ヶ左衛門」の末裔なんだそうです。そう言えば、どことなく「品」がありますでしょう?

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2007年2月20日 (火)

夢はかならず叶うものですね

こちらの人達はどうしてこんなにも心が温かいんでしょう。「筑紫次郎」こと筑後川や矢部川、そして有明海。さらに九州きっての広大な平野「筑後平野」といった「水と平野」の恵みがそうしたんでしょうか?

今回は、そうした人達を紹介します。

私のマンションは前述の筑後川のすぐ近くですが、このマンションの通りを隔てたすぐ前に、”Sweet time”というケーキ屋さんがあります。若いご夫婦が経営者で、女性のパテシェが3人。このご夫婦が明るく優しくそれは素晴らしい人達なんです。甘さ控えめのケーキも清潔で落ち着いた喫茶室もお二人の人柄そのもです。

時間を見つけては訪ねていろんな話をしますが、とにかく楽しくくつろげて、私にとって、ここで過ごす時間は、まさしく”sweet time”そのもです。最近は、発展して、ちょっとした物を「物々交換」するなんてことをやってます。先日も、「これ、母が大島さんにと作りました」とほうれん草のおひたしと煮豆を頂戴しました。私のお返し? よそ様の頂き物を「おすそ分け」などと称して届けました。なにせ自分では何にも作れないもんですから。

このお店で親しくなった人が、今回のタイトルに関係する人です。号を松師古さん、本名松2006_02050056_4 崎さんといいます。もともとは、書道の先生で、特に細筆でかな漢字を教えておられたそうですが、最近はこれに得意な水彩画も一緒にした絵葉書(松師古さんは心便りといってます)を教えておられるそうです。40歳を少し出てるかなーって若さの朴訥とした感じの好漢です。

この人が、11月、私が新聞に取り上げられたのを読まれて、書いて(描いて)くれたのが、左の心便りです。私の船頭姿の上に、「夢はかならず叶うものですね」と書かれてます。これを頂いた時の私の感動は、今でも言葉に尽くせません。「松師古さん、本当に有難う」

今年になって、1月13日に、「ドリームスエフエム」という地元久留米のラジオ番組に出ましたが、この心便りのことを岩坂さんとおっしゃる司会者の方に話したら、すごく感激されて、番組の中でも取り上げて紹介してくれました。

最後は、西鉄久留米駅すぐ近くの商店街「一番街」のなかにある、「八百膳」という食堂のご夫婦を紹介します。この食堂は昔からある飾らない庶民的な食堂です。たまには外食でもするかって感じで入ったのが最初でした。

で、どういう訳か、いきなりお互いに話が弾んで、ご主人がバトミントンの往年の選手で、今も後輩の面倒をみておられ、奥さんは北九州門司の生まれ育ちで、目下日本舞踊にはまっておられる。私は私で、横浜から久留米に移ってきて、自炊しながら船頭という夢を追っかけてる。てな調子で初回から、お互い自分のプロフィールを白日にさらしてしまったのです。こうなると、次に訪ねた時は、既に何十年来のお友達。私の自炊のメニューが三つしかないことは、瞬く間に知れてしまいました。

そして、現在、週に一回のペースで行ってますが、私がオーダーしなくとも、勝手に料理が出てきます。それも、お店のメニューにないいわゆる家庭料理的なものが。皆さん既にお気づきでしょうが、私の大事な栄養補給源の食堂なんです。

追伸ですが、この食堂でまたまた沢山の人達とお友達になりました。ご夫婦の人柄に吸い寄せられるように、色んな人達がお客さんで来られるのです。

紹介したい人はまだまだ沢山いますが、どうでしょうーこちらの土地柄を多少なりともお分かりいただけたでしょうか?

こんな人達に囲まれて、久留米という初めての地で、何とか自炊をしながら、船頭の道を驀進しています。

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2007年1月26日 (金)

艪3日棹3年

今年は、胸ワクワクで元旦を迎えました。          

元旦に仕事をするのが、仕事人生で初めてということもありましたが、それより、元旦から船頭の仕事をする嬉しさみたいなもので興奮してました。

考えてみると、「よくここまできたなー」と思いますね。今でこそ、一人前の船頭って顔をして、トークをしたり唄ったりしてますが、昨年の10月頃までは、基本中の基本である舟を棹一本で操る「棹さばき」で四苦八苦でしたからね。

柳川へは、一昨年の5月から、毎月一度一週間、横浜から通ってました。その2ヶ月前頃だったと思います。現在、お世話になってる「柳川リバー観光」の船頭長に「艪3日棹3年といって、棹さばきってのは見た目よりはるかに難しいよ」と言われたのは。でも、正直、その時の私は、「何とかなるさ」って感じで、頭は、舟の上で話す内容や歌の方にいってました。そして、途中で「これじゃ船頭は無理かもしれない」と思う苦労が始まったのです。

2006_01140007_2 写真は、今の季節の舟「こたつ舟」を先輩船頭さんが操ってるところです。見てお分かりと思いますが、舟の長さは約8メートルあります。この舟を約6メートルの棹一本で自在に動かす訳です。お客様が乗られると更に重量が加わりますから、腰を入れてグーンと押し出すパワーが要求されます。

最初は、先ず真っ直ぐ動かすところからスタートです。大体すぐに曲がってしまいます。次が、前後左右です。この辺が初級で次に風と橋が待ってます。舟は風に弱くて、少し強い風にあうとすぐに流されてしまいます。風の方向を読んで風に向かって真っ直ぐにすすめないとアウトです。そして、難関の橋です。柳川の川下りは城下町の中に縦横に掘られた掘割を下ります。ですから、橋が沢山あります。狭い橋、低い橋いろとりどりで、これらを当てたり途中で止まったりすることなく、スムーズにくぐっていかねばなりません。

以上が「棹さばき」の基本となるところですが、実は、これらに加えて厄介なものが更にあります。随所に張り出してる木々の枝、そして、堀底の柔らかい土です。枝は注意しないと棹を取られ棹を水の中に落としてしまいます。土は、さした棹が抜くに抜けなくなり「舟をとるか棹をとるか」の場面にたたされます。棹をとれば船頭は水の中に「ドボーン」です。舟をとれば棹が手元にありませんから進むににっちもさっちもいかなくなります。

いやー私も、随分棹を流しましたし、自らも何度となくドボ-ンしました。ある時は、向こうからやってくる舟にぶっつけて、先輩船頭さんに「気をつけろ」って怒鳴られもしました。スイスイとお客さんを乗せていく先輩の姿となかなか上手くならない自分を比べて「自分には無理かもしれない」と弱気になったことも正直ありました。

ですから、昨年の10月、船頭長から「名札に名前を書いていいよ」と言われた時は、それまでの苦労を思い出すと同時に、「これでようやく船頭さんの仲間入りができた」と感激で胸が震えてしまいました。私の名札は、10月以降毎日船頭小屋に下がっています。

ポカポカ陽気の今年の元旦、「どんな町かと川下り 夢を乗せ行くどんこ舟ーーー」と唄いつつ、下っていく私の心は喜び一杯で晴れ晴れとしていました。

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