2006年12月28日 (木)

私が船頭になったわけ

先日、新聞記者さんの取材を受けました。およそ1時間半、記者さんと二人、私が棹さす舟の中でです。

記者さんの最初の質問は「どうして横浜からわざわざ柳川へ」、続いて「それもどうして船頭を」でした。この質問が記者さんから最初にでてきたのには、勿論理由がありまして、ここに至る経過を説明するとお分かり頂けるでしょう。

10月の初めでしたか、現在作成中のホームページに関連して、柳川市役所を訪ねました。
その時に、柳川の誇る国民詩人「北原白秋」に話が及び、「白秋」という名はどういうことでついたのかと実にマニアックな質問を私がしてしまったのですが、さすが観光課の方たちです。
「この本にそのいきさつが書いてありますよ」と小冊子を見せてくれました。「柳川文学散歩案内」という10年ほど前に発行された冊子でした。

「白秋」という名がどうしてついたかは、ここでは触れませんが、その後私は早速発行人の原 達郎さんに電話をしてその冊子を入手しましたが、その時この原さんから「会社をリタイヤーした後、わざわざ横浜から柳川に来て、しかも船頭になりたいなんてこと、どうして考えたのですか?」と質問されたのです。

「昔一度柳川の川下りをして、その時、会社を辞めたらこの船頭をやろうと決めたんです。まさか本当にやるとは自分でも驚いてるんですがね。回りは変わってると変人扱いしてます」と答えました。

昨年の5月から月一度1週間程度休みをとって柳川へ通ってたこと、9月から久留米に住まいを定めて毎日柳川へ西鉄電車に乗って船頭の修行に通ってることもです。この話が実は冒頭の新聞記者さんの耳に入り、取材とあいなった訳です。

ということで明らかな様に、まだ半人前の船頭で、柳川そして周辺のことについても未知で、見るもの聞くことすべてがゼロからのスタートですが、私の感じたままを「船頭の奮闘記」ということで、これから皆さんにお伝えしていこうと思います。

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