2010年5月18日 (火)

花菖蒲

夏日がまたまた来たかと思っていたら、今日あたり雨模様。梅雨入りが近づいているのかもしれませんね。

梅雨といえば、やはり何といっても「花菖蒲」でしょう。

花菖蒲は全国区の花のようで、季節がくると、各地から花菖蒲便りが聞こえてきます。皆さんも、それぞれお気に入りの花菖蒲の場所をお持ちなんでしょうね。

九州にも花菖蒲で知られる所が沢山あるようですが、今日は、私のお気に入りを紹介します。

まずは、熊本玉名の「高瀬裏川の花菖蒲」。

高瀬裏川は、菊池川に沿って造られた細い川ですが、この川沿いに、そう200~300メートルくらいあるでしょうか、いやもう少しあるかな、シーズンになると花菖蒲の花がびっしりと咲き誇ります。実に壮観です。幟なども沢山立って、大変な人で賑わいます。

高瀬裏川は、実はもう一つ楽しみの味わえるところです。川からすぐのところに、昔ながらの風景を見れるんです。「町おこし」をやっておられるんですね。

菖蒲の花並みと町並みをセットで楽しむ。高瀬裏川の味わいです。

二つ目は、大分は別府の「神楽女湖の花菖蒲」です。

1300メートルを超える鶴見岳を右に見ながら、由布院方面に上って行き、峠の頂上近くを左方向に向かうとやがて志高湖が見えてきます。神楽女湖は、この志高湖をもう少し奥に入ったところにあります。

小さな湖ですが、水あくまでもきれいに澄み、そして湖畔に花菖蒲がひっそりと咲いている。花菖蒲の数は結構な数なんですけどね。それほどポピュラーでもないので、人の気配もまばら。カップルで行くに最高じゃないでしょうか。もっとも、私の場合は、むくつけき野郎共数名で、味も素っ気もありませんでしたけど。

鶴見岳に上って(ロープウエイがあります)別府湾と別府の町を眺望した後、神楽女湖で花菖蒲、その後別府で美味しい食事と温泉なんてどうです?

さて、最後に紹介しますのは、勿論、「柳川の花菖蒲」です。

2006_05110094_2 左の写真は、川下りの中間地点にある、日吉神社近くで見る「黄菖蒲」です。

柳川では、黄菖蒲が先ず咲いて、それから花菖蒲の本番となります。

6月に入ると、いよいよ花菖蒲の本番を迎えますが、柳川の花菖蒲は、勿論、川下りの舟の中からこれを楽しんでいただきます。

2006_06100118 これは、私がどっかで聞いたことなんですが、花菖蒲は横から見るものでなく、少し上から見るものなんだそうです。

というわけで、私の舟に乗られるお客さんには、「左手に柳川市の花でもある花菖蒲が見えてきました。ところで、皆さん、花菖蒲ってのは、上から見てこそ美しく見えるものなんだそうですね。それでは、皆さん、揃って立っていただきましょうか。どうです? きれいに見えるでしょう?」なんて案内をして、皆さんに楽しんでいただいてます。

もっとも、小学校で廊下に立たされて以来立ったことがないってんで、思わずよろけて舟から落ちそうになるお客さんも中にはいらっしゃいますけどね。

以上、私のお気に入り「花菖蒲版」を紹介しましたが、楽しみ方というものは、時により、場所により、人により、いろいろあるもんですね。

| | コメント (1)

2010年4月22日 (木)

矢部川散歩 黒木町 実は?

さて今回は、船小屋温泉郷から更に上流へと向かい、ゴールの黒木町を目指しましょう。

右に小高い山並みを見、左に広々と拡がる筑後平野を眺めながら、車も滅多にこない春の堤防道をのんびり歩いて2時間半もすると、やがて左に八女市の町が見えてきます。

この八女市、有名なのは、何と言ってもお茶でしょう。「八女茶」のブランドでご存知の方も多いでしょう。ところで、意外と思われるかもしれませんが、九州は大した茶どころなんですよ。八女茶の他にも、ちょいと挙げるだけで、嬉野茶(佐賀)、杵築茶(大分)、知覧茶(鹿児島)があります。話はついでですが、お茶の南限は鹿児島じゃないでしょうかね。

さて、この八女からは、一旦町中に入り、中心地の福島からバスを利用します。堤防沿いの道が無いのと、あっても車が多くて歩くには危険だからです。

バスの中から、右に左に矢部川を見て、1時間もすると終点の黒木町に到着です。

2006_01010062 バスを降り、早速直ぐ近くを流れる矢部川に向かいます。左の写真がそうですが、山の緑と水の青が美しくコントラストしていて、眩しいくらいです。

小さな町ですが、造酒屋さんあり、美味しい和菓子屋さんありの、コンパクトですがきれいな町です。

そして、今のシーズンに訪ねないといけないところが、樹齢600年の見事さを誇る「すさのお神社の大藤」です。

2006_01010064 現在6分咲きってところのようですが、来月の5日まで、「大藤まつり」が行われています。それと、花といえば、数年前から矢部川の堤防沿いに植えられている「芝桜」も一見の価値ありです。

いろいろ紹介しましたが、実は、とっとおきがあります。

この黒木町出身で有名な女優さんがいるんです。

さあーて、誰でしょうか? 町の名前にヒントがあります。

そうです。「黒木 瞳」さんです。山紫水明の町、そして、花の美しい、清潔な「黒木町」にぴったりの女優さんですね。

私が、川下りの中で、必ず紹介する俳優さんは二人。この「黒木 瞳」さんと、「妻夫木 聡」さんです。

| | コメント (1)

2010年4月19日 (月)

矢部川散歩

あっというまに、4月になってしまいました。

初春の風物詩「さげもん」が終わり、柳川も、色んな花が咲き、お祭りが始まる本格的な春を迎えています。 

2010_031630042_3左の写真は、城下町柳川の東の外側を流れる、いわゆる「総外堀」を、上流へ向かって撮ったものです。

3月の中旬頃で、柳が新芽を吹き始め、淡い緑が水面に映えてきれいでしょう?

この総外堀を下る時、船頭さんがこんなことを言います。「この掘割、実は二つ川といって、自然の川なんです。上流を辿ると矢部川という大きな川にぶつかります」。

つまり、矢部川の水が、沖の端川、二つ川を経て城内の掘割へと流れ込むわけで、我々船頭にとっては、足を向けて寝れない大事な恵みの川という訳です。

ということで、今回はこの矢部川を上流へと辿る「矢部川散歩」と洒落てみました。

出発地は、西鉄大牟田線の中島駅です。矢部川の河口近くの駅です。この辺では「中島の朝市」でよく知られてます。

矢部川の堤防に出、堤防上の道を上流に歩いて1時間も経つと、左手堤防からそう遠くない所に、熊野神社が見えてきます。位置的には、柳川市の東の端というところでしょうか。

この熊野神社の境内に、樹齢300年という大藤があって、この季節になると「中山の大藤まつり」で賑わいます。今年もこの15日から始まってます。柳川市のホームページで紹介してますから、興味のある方はご覧になってみてください。

熊野神社から、そうですね1時間か1時間半くらい上流へ行くと、船小屋温泉郷です。

この船小屋、来春3月全線開通の「九州新幹線」が止まるんですよ。柳川への足がまた一つ増えることになります。

そして、船小屋について肝心な事をもう一つ。ここから矢部川を分岐して「沖の端川」が柳川へ向かって流れていきます。

今回はここまで。次回と続きます。

                                                    

| | コメント (0)

2009年11月15日 (日)

妻夫木さんと立花宗茂

長らくご無沙汰しました。

この間しっかり充電、見聞の量も沢山になりました。                      おいおい、紹介していきますのでお楽しみに。

そうそう、舟の方もこの春から乗ってます。                           但し、こちらの方は、指名中心に週一日って感じです。

ところで、世の中歴史ブームだそうですね。

最近、舟に乗っていてよく考えます。                                このブームに乗って、城下町柳川を”北原白秋”と並ぶ存在にできないもんかと。そもそも、柳川の川下りが、城を守るために造られた掘割を下る船旅ですからね。                         

当時のものが結構残っているし、それに、立花藩初代藩主”立花宗茂”って人が、 凄い人物なんです。                                                   歴史、特に戦国時代に興味のある人だと、ピーンとくる人みたいですよ。

NHKの大河ドラマにでも取り上げてもらえるといいんですが。                         今、地方の時代と言われてることだし、うってつけの人物だと思います。

そして、”妻夫木 聡”さんに立花宗茂役。                                        NHKの大河ドラマ「天地人」の直江兼継役がいいからだけではないんですよ。         実は、妻夫木さんは、柳川の出身なんです。

2006_01010068 左の写真は、「藤吉小学校」といって、創立120年を超える古い地元の小学校です。妻夫木さんは、1年生、2年生の2年間ここで過ごしています。

掘割沿いにあるので、近くにかかると、妻夫木さんと一緒に紹介する学校でもあります。

柳川は、”北原白秋先生のふるさと”、そして、”立花藩12万石の城下町”です。

                                                                       

| | コメント (0)

2007年8月28日 (火)

なんと甘いぶどう

すっかりご無沙汰しました。夏休みしてました。でも、ちょっとした収穫もあったんですよ。お知りになりたい? はい、それでは。

実は、信州は小諸の「寅さん会館」に行ってきました。藤村の詩で有名な小諸城址のすぐ近くです。柴又にあるのは知ってましたが、小諸にもあるんです。でも参ったのは映画監督「山田洋二さん」のブースがあったことです。考えてみればごく自然なんですけどね。山田監督は、お父さんの郷が柳川なので、かねてから、柳川の町おこしに『山田洋二さん」はいかがなもんかと、密かに考えたりしてたことがありましてね。残念ですが先輩がいらっしゃいました。それからついでですが、小諸の町、風林火山ののぼりが一杯でした。

また、今回も余談が長くなりました。本題に入ります。

いやー暑い日が続きますね。こんな時は、季節の美味しいものを食べるのが一番。

そこで、今回は「柳川のぶどう」を紹介しましょう。「柳川のぶどう」なんて聞いたことがない? ごもっとも。以外に知られてないんです。隣接する久留米市の「田主丸のぶどう」は有名ですけどね。

2006_08270116 写真のぶどうが、かの柳川のぶどうです。船頭仲間の成清さんちで採れたぶどうです。成清さんちのぶどう畑は、有明海の近くに、一面広がる干拓地の中にあります。柳川の干拓は、古くは江戸の初め慶長年間に遡りますが、成清さんのところは、明治、昭和といった時代の干拓地です。

干拓地のせいか、それとも有明海から吹いてくる潮風のせいか定かではありませんが、この地でとれるぶどうは、とにかく甘くて美味しいんです。「今朝もいできたばっかりだよ」と、朝顔を合わせると、成清さんがぶどうをたんとくれます。船頭小屋の冷蔵庫で冷やしておいて、夕方自分ちに持って帰って食べるんですが、とにかく無くなるまで食べ続けます。「うまーい。あまーい。」

生産農家が100戸あまりと量が少ないので、市場には余り出回ってませんが、その甘さと美味しさは一度知ったら忘れられない。それが『柳川のぶどう」です。

| | コメント (2)

2007年7月 4日 (水)

浦川さんとこのお弁当

2006_06300106 今回は、私がいつも楽しみにしている「浦川さんとこの弁当」の話をします。

浦川さんのお店は、川下りの終点、沖の端の水天宮さんの前にあります。白秋先生が通った矢留小学校や沖の端の漁港等も近くにあって、白秋先生の時代の趣をもっとも濃く残している一帯です。

浦川さんの店は、そもそもおかずの店で、お昼時、夕食時ともなると、近くの人達で賑わいます。私は、このお店で「お昼の弁当」を特に作ってもらいます。

実は、船頭さん達が苦労工夫しているのに、「お昼の弁当」があるんですね。私の会社の船頭さんは、皆さん「愛妻弁当」、「愛情弁当」(独身の船頭さん)を持参してます。これには、訳がありまして、いつでもどこでも昼食をとる為なんです。昼食をとる時間は、概ね川下りのお客様が多くなる11時前ですが、それより前にお客様が見えると、当番に当たった船頭さんは、弁当携行で船にのります。そして、一仕事終えた後、適当な場所を見つけて昼食をとります。何しろ船頭稼業は体力勝負ですから昼食は欠かせません。「愛妻弁当」・「愛情弁当」は、生活の知恵でもある訳です。

弁当を作る能力の無い私は、お客様を乗せて下った後、浦川さんとこで弁当を作って貰っています。他の船頭さんに負けない位、浦川さんご夫婦の愛情が一杯に詰まった弁当です。

2006_05110086 浦川さんご夫婦は、揃って働き者で、ぬくもりをたっぷり持ったお二人です。弁当が出来上がるまでの短い時間に、お二人と色んな話をしますが、会話をしているうちに、昼からの力が漲ってくる、そんな私の元気の素でもあります。

ところで、柳川では、沖の端の漁師のことを「六騎」(ろっきゅう)と呼んでいますが、これは、壇ノ浦の後、沖の端に逃げ落ちてきて、漁師となった平家の騎馬武者六人を指して呼ばれているものです。

実は、浦川さん、この六騎の一人、「浦川天ヶ左衛門」の末裔なんだそうです。そう言えば、どことなく「品」がありますでしょう?

| | コメント (2)

2007年6月19日 (火)

6月といえば

2006_04290104_1 本題に入る前に、見ごろは過ぎましたが、柳川の花菖蒲を紹介しておきます。

花菖蒲は柳川市の花でもありますが、このシーズン、川下りのお客様が大変楽しみにしていらっしゃる風景です。

30000株の花菖蒲が咲く様、とくに雨上がりのときの様は、周りの風景に映えて、鈍の私でも思わず見とれてしまいます。

加えて、掘割の岸辺に掲示されている近くの小学校の生徒の句が興趣を添えています。「おにやんま 元気だったのに 死んでいた」には参りました。

2006_04290105 さて今回の本題。6月と言えば「ジューン ブライド」。という訳で、紹介しますのは、柳川の「川上り結婚式」。

川下りコースの中間地点にある日吉神社で結婚式を挙げた後、近くの乗舟場から、舟に乗り披露宴会場まで、上っていきます。先頭の舟に花嫁・花婿、仲人、それぞれの両親、2艘目、3艘目に親族の人達が分乗します。

舟では、船頭さんが祝い歌を唄い、行き交う川下りの舟や通りかかる橋の上からは「ご両人おめでとう」や「いつまでも幸せにね」などの声がとびます。花嫁・花婿は勿論、舟に乗ってる皆さん全員が、満面笑みで本当に幸せそうです。

上の写真の花婿は柳川の人でしたが、花嫁は奄美大島の人で、本人はもとより両親・親族の方々も、初めての体験と情緒ある雰囲気に凄く嬉しそうでした。

柳川の川上り結婚式、特に春秋の大安吉日に多く、知る人ぞ知る柳川の風物詩です。

| | コメント (2)

2007年5月15日 (火)

加藤さんちの団子

皆さんの中にも心当たりのある方がおられると思いますが、ある時から急に「食」に興味を覚えるってことがありますよね。

私も、博多に居た時でしょうか、50を少し過ぎた頃、急に「食」に目覚めて、「そば」の食べ歩きを始めました。そして、そばと並行して、辛党だった私が甘いものに惹かれるようになり、最初は「洋」のケーキ、そして、いつしか「和」の饅頭や団子等にはまってました。

横浜に戻ってからは病がますます高じて、都内の「江戸前の蕎麦屋」さんをあっちこっち訪ねてまわる、甘い方も、人に聞いたり雑誌で見つけたら、時間を見つけて食べにいく、買いに行く。揚句、いっぱしの食通気取りで、あそこがどう、ここが美味しい等能書きを垂れる。まあー何とも恥ずかしい次第ですが、とは言うものの、日暮里の「羽二重だんご」、銀座あけぼのの「もちどら」は、私が最も好きな東京の「和」です。

そんな私ですから、柳川でも、船頭稼業の傍ら、私の気にいる甘いものを探しています。今日、紹介する「加藤さんちの団子」がそれです。

2006_05110081 甘さ控えめで柔らかく、とにかく一口食べてその美味しさと食感の素晴らしさに感激しました。

この団子が作られ始めたのは、加藤さん達の前の代からで、戦後しばらくしてからだろうとのこと。加藤さんの代になって既に30年は経つという年代もんです。

加藤さんちは、沖の端の「北原白秋生家」の近くで、一つ北側の通りにあります。白秋生家を訪ねた後、ぶらり寄ってみるというのは如何ですか?

もっとも、「加藤さんちの団子」、地元でも知る人ぞ知る逸品なので、お昼も早い時間に本日終了の看板が出ますので、前もっての確認を勧めます。また、季節限定で、春は2月の柳川名物「さげもんめぐり」の頃から6月いっぱい迄、秋は10月一ヶ月となってますので注意して下さい。

柳川は、甘党にとってはお店が限られていて、ちょっくら寂しいものがありますが、これから新しい柳川の街づくりの中で、少しづつ増えていくと思いますので、今後を楽しみにして下さい。

追伸;加藤さんちの電話 0944-72-2954 (全国配送もやってますよ)

| | コメント (1)

2007年4月 2日 (月)

新酒 立花宗茂

今 柳川は新春の香りが満載です。

桃、桜、れんぎょうといった春を彩る花々に、柳川を文字通り象徴する「柳」の青い芽がふきはじめ、棹押す「寅ちゃん」の心も思わず弾んでこようというもんです。

そして、春と言えば忘れてならないものに、香りは香りでものどにぐっとくる、そう「新酒」がありますよね。この筑後地区は全国でも名高い酒どころ。春3月ともなれば、各地で新酒を披露する酒蔵開きが行われます。

そんな中、柳川の老舗「目野酒造」では、柳川立花藩の初代藩主の名を冠したどぶろく「立花宗茂」を新しく出しました。

2006_02120036 創った人は、目野家の次男坊、目野信太郎さん(36歳)。お兄さん(何故か忠次郎さんといいます)が営業担当で、信太郎さんが杜氏。

そしてこのどぶろく、何と400年前宗茂公が飲まれていた時のものとそっくり同じレシピで創られたもんなんです。

以外にあっさりした味わいでした。でも美味しかったですよ。400年前にタイムスリップし、宗茂公になった気分で頂くってのも、結構乙なもんでした。

「立花宗茂」を創った信太郎さん、なかなかの男前で、その昔はレーサーとして鳴らしたそうですが、今はその時の情熱を酒造り一筋に注いでいます。日本酒は勿論ですが、柳川特産の「ひまわり」を使った焼酎を創る等、これからも、若い感性で、筑後を代表するお酒を世に出していくことでしょう。

新酒「立花宗茂」と目野信太郎さんの今後に注目下さい。

 

| | コメント (1)

2007年3月 3日 (土)

柳川まり

今柳川は「さげもんめぐり」で大賑わいです。12月、1月、こたつ舟を目的に見えたお客さんが、2月も11日を迎えると、「さげもんめぐり」と川下りに目的が変わられます。柳川は、一足早く雛祭りが始まるのです。

2006_03010054_6 左の写真は、江戸時代立花家の茶室として使われていた「戸島邸」のさげもんです。さげもんめぐりでは、こういった屋敷の他、かんぽの宿といった公共施設や商店街のお店等でも見ることができます。

写真ですが、中央の雛壇の左右に飾り物が下がっています。これがさげもんといわれるものです。円いわっかの真ん中に今回のタイトル「柳川まり」が2個、周りの糸にぬいぐるみが計49個、トータル51個のさげもんが下がっています。これらが部屋いっぱいにところ狭しと並ぶ様は、それは華やかで美しいもんです。

人生50年といわれていた時代、51個のさげもんを部屋いっぱいに飾って、子供の長寿を願うこの慣わしは、江戸の頃、立花家に始まり、次第に庶民の家庭に広まってきたとされています。

さげもんのなかでも、ひときわ目を引くのが「柳川まり」です。先日、この「柳川まり」保存会の会長をされている「北島 たえ」さんに会ってきました。84歳になられた北島さん、それはお元気で、現在でも毎日一個の割りで「柳川まり」を創っておられます。

2006_02050049_1 北島さんが、特に力をいれて創っていらっしゃるのが、写真の「草木染めのてまり」です。まりが出来上がるには、いくつかの工程がありますが、最後の仕上げの段階で、草木を染めてできた糸を使うのが「草木染めのてまり」です。「草木染めのてまり」こそ、柳川に古くからつたわるもので、北原白秋の「まりもちて遊ぶ子供をまりもたぬ 子供見恍るる山ざくら花」のまりは、このてまりと仰っていました。ちなみに、赤色は茜、茶色は栗、紺は藍、黄色はくちなし、緑はよもぎだそうです。

柳川のさげもんは、伊豆稲取の「雛のつるしかざり」、山形酒田市の「傘福」とならんで、日本の3大つるし飾りといわれているそうです。4月3日まで開催されていますので、是非お出かけ下さい。その際は、「柳川まり」を見落としないように。興味が倍加すること請け合いです。

| | コメント (1)

«夢はかならず叶うものですね