2007年8月28日 (火)

なんと甘いぶどう

すっかりご無沙汰しました。夏休みしてました。でも、ちょっとした収穫もあったんですよ。お知りになりたい? はい、それでは。

実は、信州は小諸の「寅さん会館」に行ってきました。藤村の詩で有名な小諸城址のすぐ近くです。柴又にあるのは知ってましたが、小諸にもあるんです。でも参ったのは映画監督「山田洋二さん」のブースがあったことです。考えてみればごく自然なんですけどね。山田監督は、お父さんの郷が柳川なので、かねてから、柳川の町おこしに『山田洋二さん」はいかがなもんかと、密かに考えたりしてたことがありましてね。残念ですが先輩がいらっしゃいました。それからついでですが、小諸の町、風林火山ののぼりが一杯でした。

また、今回も余談が長くなりました。本題に入ります。

いやー暑い日が続きますね。こんな時は、季節の美味しいものを食べるのが一番。

そこで、今回は「柳川のぶどう」を紹介しましょう。「柳川のぶどう」なんて聞いたことがない? ごもっとも。以外に知られてないんです。隣接する久留米市の「田主丸のぶどう」は有名ですけどね。

2006_08270116 写真のぶどうが、かの柳川のぶどうです。船頭仲間の成清さんちで採れたぶどうです。成清さんちのぶどう畑は、有明海の近くに、一面広がる干拓地の中にあります。柳川の干拓は、古くは江戸の初め慶長年間に遡りますが、成清さんのところは、明治、昭和といった時代の干拓地です。

干拓地のせいか、それとも有明海から吹いてくる潮風のせいか定かではありませんが、この地でとれるぶどうは、とにかく甘くて美味しいんです。「今朝もいできたばっかりだよ」と、朝顔を合わせると、成清さんがぶどうをたんとくれます。船頭小屋の冷蔵庫で冷やしておいて、夕方自分ちに持って帰って食べるんですが、とにかく無くなるまで食べ続けます。「うまーい。あまーい。」

生産農家が100戸あまりと量が少ないので、市場には余り出回ってませんが、その甘さと美味しさは一度知ったら忘れられない。それが『柳川のぶどう」です。

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2007年7月 4日 (水)

浦川さんとこのお弁当

2006_06300106 今回は、私がいつも楽しみにしている「浦川さんとこの弁当」の話をします。

浦川さんのお店は、川下りの終点、沖の端の水天宮さんの前にあります。白秋先生が通った矢留小学校や沖の端の漁港等も近くにあって、白秋先生の時代の趣をもっとも濃く残している一帯です。

浦川さんの店は、そもそもおかずの店で、お昼時、夕食時ともなると、近くの人達で賑わいます。私は、このお店で「お昼の弁当」を特に作ってもらいます。

実は、船頭さん達が苦労工夫しているのに、「お昼の弁当」があるんですね。私の会社の船頭さんは、皆さん「愛妻弁当」、「愛情弁当」(独身の船頭さん)を持参してます。これには、訳がありまして、いつでもどこでも昼食をとる為なんです。昼食をとる時間は、概ね川下りのお客様が多くなる11時前ですが、それより前にお客様が見えると、当番に当たった船頭さんは、弁当携行で船にのります。そして、一仕事終えた後、適当な場所を見つけて昼食をとります。何しろ船頭稼業は体力勝負ですから昼食は欠かせません。「愛妻弁当」・「愛情弁当」は、生活の知恵でもある訳です。

弁当を作る能力の無い私は、お客様を乗せて下った後、浦川さんとこで弁当を作って貰っています。他の船頭さんに負けない位、浦川さんご夫婦の愛情が一杯に詰まった弁当です。

2006_05110086 浦川さんご夫婦は、揃って働き者で、ぬくもりをたっぷり持ったお二人です。弁当が出来上がるまでの短い時間に、お二人と色んな話をしますが、会話をしているうちに、昼からの力が漲ってくる、そんな私の元気の素でもあります。

ところで、柳川では、沖の端の漁師のことを「六騎」(ろっきゅう)と呼んでいますが、これは、壇ノ浦の後、沖の端に逃げ落ちてきて、漁師となった平家の騎馬武者六人を指して呼ばれているものです。

実は、浦川さん、この六騎の一人、「浦川天ヶ左衛門」の末裔なんだそうです。そう言えば、どことなく「品」がありますでしょう?

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2007年6月19日 (火)

6月といえば

2006_04290104_1 本題に入る前に、見ごろは過ぎましたが、柳川の花菖蒲を紹介しておきます。

花菖蒲は柳川市の花でもありますが、このシーズン、川下りのお客様が大変楽しみにしていらっしゃる風景です。

30000株の花菖蒲が咲く様、とくに雨上がりのときの様は、周りの風景に映えて、鈍の私でも思わず見とれてしまいます。

加えて、掘割の岸辺に掲示されている近くの小学校の生徒の句が興趣を添えています。「おにやんま 元気だったのに 死んでいた」には参りました。

2006_04290105 さて今回の本題。6月と言えば「ジューン ブライド」。という訳で、紹介しますのは、柳川の「川上り結婚式」。

川下りコースの中間地点にある日吉神社で結婚式を挙げた後、近くの乗舟場から、舟に乗り披露宴会場まで、上っていきます。先頭の舟に花嫁・花婿、仲人、それぞれの両親、2艘目、3艘目に親族の人達が分乗します。

舟では、船頭さんが祝い歌を唄い、行き交う川下りの舟や通りかかる橋の上からは「ご両人おめでとう」や「いつまでも幸せにね」などの声がとびます。花嫁・花婿は勿論、舟に乗ってる皆さん全員が、満面笑みで本当に幸せそうです。

上の写真の花婿は柳川の人でしたが、花嫁は奄美大島の人で、本人はもとより両親・親族の方々も、初めての体験と情緒ある雰囲気に凄く嬉しそうでした。

柳川の川上り結婚式、特に春秋の大安吉日に多く、知る人ぞ知る柳川の風物詩です。

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2007年5月15日 (火)

加藤さんちの団子

皆さんの中にも心当たりのある方がおられると思いますが、ある時から急に「食」に興味を覚えるってことがありますよね。

私も、博多に居た時でしょうか、50を少し過ぎた頃、急に「食」に目覚めて、「そば」の食べ歩きを始めました。そして、そばと並行して、辛党だった私が甘いものに惹かれるようになり、最初は「洋」のケーキ、そして、いつしか「和」の饅頭や団子等にはまってました。

横浜に戻ってからは病がますます高じて、都内の「江戸前の蕎麦屋」さんをあっちこっち訪ねてまわる、甘い方も、人に聞いたり雑誌で見つけたら、時間を見つけて食べにいく、買いに行く。揚句、いっぱしの食通気取りで、あそこがどう、ここが美味しい等能書きを垂れる。まあー何とも恥ずかしい次第ですが、とは言うものの、日暮里の「羽二重だんご」、銀座あけぼのの「もちどら」は、私が最も好きな東京の「和」です。

そんな私ですから、柳川でも、船頭稼業の傍ら、私の気にいる甘いものを探しています。今日、紹介する「加藤さんちの団子」がそれです。

2006_05110081 甘さ控えめで柔らかく、とにかく一口食べてその美味しさと食感の素晴らしさに感激しました。

この団子が作られ始めたのは、加藤さん達の前の代からで、戦後しばらくしてからだろうとのこと。加藤さんの代になって既に30年は経つという年代もんです。

加藤さんちは、沖の端の「北原白秋生家」の近くで、一つ北側の通りにあります。白秋生家を訪ねた後、ぶらり寄ってみるというのは如何ですか?

もっとも、「加藤さんちの団子」、地元でも知る人ぞ知る逸品なので、お昼も早い時間に本日終了の看板が出ますので、前もっての確認を勧めます。また、季節限定で、春は2月の柳川名物「さげもんめぐり」の頃から6月いっぱい迄、秋は10月一ヶ月となってますので注意して下さい。

柳川は、甘党にとってはお店が限られていて、ちょっくら寂しいものがありますが、これから新しい柳川の街づくりの中で、少しづつ増えていくと思いますので、今後を楽しみにして下さい。

追伸;加藤さんちの電話 0944-72-2954 (全国配送もやってますよ)

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2007年4月 2日 (月)

新酒 立花宗茂

今 柳川は新春の香りが満載です。

桃、桜、れんぎょうといった春を彩る花々に、柳川を文字通り象徴する「柳」の青い芽がふきはじめ、棹押す「寅ちゃん」の心も思わず弾んでこようというもんです。

そして、春と言えば忘れてならないものに、香りは香りでものどにぐっとくる、そう「新酒」がありますよね。この筑後地区は全国でも名高い酒どころ。春3月ともなれば、各地で新酒を披露する酒蔵開きが行われます。

そんな中、柳川の老舗「目野酒造」では、柳川立花藩の初代藩主の名を冠したどぶろく「立花宗茂」を新しく出しました。

2006_02120036 創った人は、目野家の次男坊、目野信太郎さん(36歳)。お兄さん(何故か忠次郎さんといいます)が営業担当で、信太郎さんが杜氏。

そしてこのどぶろく、何と400年前宗茂公が飲まれていた時のものとそっくり同じレシピで創られたもんなんです。

以外にあっさりした味わいでした。でも美味しかったですよ。400年前にタイムスリップし、宗茂公になった気分で頂くってのも、結構乙なもんでした。

「立花宗茂」を創った信太郎さん、なかなかの男前で、その昔はレーサーとして鳴らしたそうですが、今はその時の情熱を酒造り一筋に注いでいます。日本酒は勿論ですが、柳川特産の「ひまわり」を使った焼酎を創る等、これからも、若い感性で、筑後を代表するお酒を世に出していくことでしょう。

新酒「立花宗茂」と目野信太郎さんの今後に注目下さい。

 

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2007年3月 3日 (土)

柳川まり

今柳川は「さげもんめぐり」で大賑わいです。12月、1月、こたつ舟を目的に見えたお客さんが、2月も11日を迎えると、「さげもんめぐり」と川下りに目的が変わられます。柳川は、一足早く雛祭りが始まるのです。

2006_03010054_6 左の写真は、江戸時代立花家の茶室として使われていた「戸島邸」のさげもんです。さげもんめぐりでは、こういった屋敷の他、かんぽの宿といった公共施設や商店街のお店等でも見ることができます。

写真ですが、中央の雛壇の左右に飾り物が下がっています。これがさげもんといわれるものです。円いわっかの真ん中に今回のタイトル「柳川まり」が2個、周りの糸にぬいぐるみが計49個、トータル51個のさげもんが下がっています。これらが部屋いっぱいにところ狭しと並ぶ様は、それは華やかで美しいもんです。

人生50年といわれていた時代、51個のさげもんを部屋いっぱいに飾って、子供の長寿を願うこの慣わしは、江戸の頃、立花家に始まり、次第に庶民の家庭に広まってきたとされています。

さげもんのなかでも、ひときわ目を引くのが「柳川まり」です。先日、この「柳川まり」保存会の会長をされている「北島 たえ」さんに会ってきました。84歳になられた北島さん、それはお元気で、現在でも毎日一個の割りで「柳川まり」を創っておられます。

2006_02050049_1 北島さんが、特に力をいれて創っていらっしゃるのが、写真の「草木染めのてまり」です。まりが出来上がるには、いくつかの工程がありますが、最後の仕上げの段階で、草木を染めてできた糸を使うのが「草木染めのてまり」です。「草木染めのてまり」こそ、柳川に古くからつたわるもので、北原白秋の「まりもちて遊ぶ子供をまりもたぬ 子供見恍るる山ざくら花」のまりは、このてまりと仰っていました。ちなみに、赤色は茜、茶色は栗、紺は藍、黄色はくちなし、緑はよもぎだそうです。

柳川のさげもんは、伊豆稲取の「雛のつるしかざり」、山形酒田市の「傘福」とならんで、日本の3大つるし飾りといわれているそうです。4月3日まで開催されていますので、是非お出かけ下さい。その際は、「柳川まり」を見落としないように。興味が倍加すること請け合いです。

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2007年2月20日 (火)

夢はかならず叶うものですね

こちらの人達はどうしてこんなにも心が温かいんでしょう。「筑紫次郎」こと筑後川や矢部川、そして有明海。さらに九州きっての広大な平野「筑後平野」といった「水と平野」の恵みがそうしたんでしょうか?

今回は、そうした人達を紹介します。

私のマンションは前述の筑後川のすぐ近くですが、このマンションの通りを隔てたすぐ前に、”Sweet time”というケーキ屋さんがあります。若いご夫婦が経営者で、女性のパテシェが3人。このご夫婦が明るく優しくそれは素晴らしい人達なんです。甘さ控えめのケーキも清潔で落ち着いた喫茶室もお二人の人柄そのもです。

時間を見つけては訪ねていろんな話をしますが、とにかく楽しくくつろげて、私にとって、ここで過ごす時間は、まさしく”sweet time”そのもです。最近は、発展して、ちょっとした物を「物々交換」するなんてことをやってます。先日も、「これ、母が大島さんにと作りました」とほうれん草のおひたしと煮豆を頂戴しました。私のお返し? よそ様の頂き物を「おすそ分け」などと称して届けました。なにせ自分では何にも作れないもんですから。

このお店で親しくなった人が、今回のタイトルに関係する人です。号を松師古さん、本名松2006_02050056_4 崎さんといいます。もともとは、書道の先生で、特に細筆でかな漢字を教えておられたそうですが、最近はこれに得意な水彩画も一緒にした絵葉書(松師古さんは心便りといってます)を教えておられるそうです。40歳を少し出てるかなーって若さの朴訥とした感じの好漢です。

この人が、11月、私が新聞に取り上げられたのを読まれて、書いて(描いて)くれたのが、左の心便りです。私の船頭姿の上に、「夢はかならず叶うものですね」と書かれてます。これを頂いた時の私の感動は、今でも言葉に尽くせません。「松師古さん、本当に有難う」

今年になって、1月13日に、「ドリームスエフエム」という地元久留米のラジオ番組に出ましたが、この心便りのことを岩坂さんとおっしゃる司会者の方に話したら、すごく感激されて、番組の中でも取り上げて紹介してくれました。

最後は、西鉄久留米駅すぐ近くの商店街「一番街」のなかにある、「八百膳」という食堂のご夫婦を紹介します。この食堂は昔からある飾らない庶民的な食堂です。たまには外食でもするかって感じで入ったのが最初でした。

で、どういう訳か、いきなりお互いに話が弾んで、ご主人がバトミントンの往年の選手で、今も後輩の面倒をみておられ、奥さんは北九州門司の生まれ育ちで、目下日本舞踊にはまっておられる。私は私で、横浜から久留米に移ってきて、自炊しながら船頭という夢を追っかけてる。てな調子で初回から、お互い自分のプロフィールを白日にさらしてしまったのです。こうなると、次に訪ねた時は、既に何十年来のお友達。私の自炊のメニューが三つしかないことは、瞬く間に知れてしまいました。

そして、現在、週に一回のペースで行ってますが、私がオーダーしなくとも、勝手に料理が出てきます。それも、お店のメニューにないいわゆる家庭料理的なものが。皆さん既にお気づきでしょうが、私の大事な栄養補給源の食堂なんです。

追伸ですが、この食堂でまたまた沢山の人達とお友達になりました。ご夫婦の人柄に吸い寄せられるように、色んな人達がお客さんで来られるのです。

紹介したい人はまだまだ沢山いますが、どうでしょうーこちらの土地柄を多少なりともお分かりいただけたでしょうか?

こんな人達に囲まれて、久留米という初めての地で、何とか自炊をしながら、船頭の道を驀進しています。

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2007年1月26日 (金)

艪3日棹3年

今年は、胸ワクワクで元旦を迎えました。          

元旦に仕事をするのが、仕事人生で初めてということもありましたが、それより、元旦から船頭の仕事をする嬉しさみたいなもので興奮してました。

考えてみると、「よくここまできたなー」と思いますね。今でこそ、一人前の船頭って顔をして、トークをしたり唄ったりしてますが、昨年の10月頃までは、基本中の基本である舟を棹一本で操る「棹さばき」で四苦八苦でしたからね。

柳川へは、一昨年の5月から、毎月一度一週間、横浜から通ってました。その2ヶ月前頃だったと思います。現在、お世話になってる「柳川リバー観光」の船頭長に「艪3日棹3年といって、棹さばきってのは見た目よりはるかに難しいよ」と言われたのは。でも、正直、その時の私は、「何とかなるさ」って感じで、頭は、舟の上で話す内容や歌の方にいってました。そして、途中で「これじゃ船頭は無理かもしれない」と思う苦労が始まったのです。

2006_01140007_2 写真は、今の季節の舟「こたつ舟」を先輩船頭さんが操ってるところです。見てお分かりと思いますが、舟の長さは約8メートルあります。この舟を約6メートルの棹一本で自在に動かす訳です。お客様が乗られると更に重量が加わりますから、腰を入れてグーンと押し出すパワーが要求されます。

最初は、先ず真っ直ぐ動かすところからスタートです。大体すぐに曲がってしまいます。次が、前後左右です。この辺が初級で次に風と橋が待ってます。舟は風に弱くて、少し強い風にあうとすぐに流されてしまいます。風の方向を読んで風に向かって真っ直ぐにすすめないとアウトです。そして、難関の橋です。柳川の川下りは城下町の中に縦横に掘られた掘割を下ります。ですから、橋が沢山あります。狭い橋、低い橋いろとりどりで、これらを当てたり途中で止まったりすることなく、スムーズにくぐっていかねばなりません。

以上が「棹さばき」の基本となるところですが、実は、これらに加えて厄介なものが更にあります。随所に張り出してる木々の枝、そして、堀底の柔らかい土です。枝は注意しないと棹を取られ棹を水の中に落としてしまいます。土は、さした棹が抜くに抜けなくなり「舟をとるか棹をとるか」の場面にたたされます。棹をとれば船頭は水の中に「ドボーン」です。舟をとれば棹が手元にありませんから進むににっちもさっちもいかなくなります。

いやー私も、随分棹を流しましたし、自らも何度となくドボ-ンしました。ある時は、向こうからやってくる舟にぶっつけて、先輩船頭さんに「気をつけろ」って怒鳴られもしました。スイスイとお客さんを乗せていく先輩の姿となかなか上手くならない自分を比べて「自分には無理かもしれない」と弱気になったことも正直ありました。

ですから、昨年の10月、船頭長から「名札に名前を書いていいよ」と言われた時は、それまでの苦労を思い出すと同時に、「これでようやく船頭さんの仲間入りができた」と感激で胸が震えてしまいました。私の名札は、10月以降毎日船頭小屋に下がっています。

ポカポカ陽気の今年の元旦、「どんな町かと川下り 夢を乗せ行くどんこ舟ーーー」と唄いつつ、下っていく私の心は喜び一杯で晴れ晴れとしていました。

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2006年12月28日 (木)

私が船頭になったわけ

先日、新聞記者さんの取材を受けました。およそ1時間半、記者さんと二人、私が棹さす舟の中でです。

記者さんの最初の質問は「どうして横浜からわざわざ柳川へ」、続いて「それもどうして船頭を」でした。この質問が記者さんから最初にでてきたのには、勿論理由がありまして、ここに至る経過を説明するとお分かり頂けるでしょう。

10月の初めでしたか、現在作成中のホームページに関連して、柳川市役所を訪ねました。
その時に、柳川の誇る国民詩人「北原白秋」に話が及び、「白秋」という名はどういうことでついたのかと実にマニアックな質問を私がしてしまったのですが、さすが観光課の方たちです。
「この本にそのいきさつが書いてありますよ」と小冊子を見せてくれました。「柳川文学散歩案内」という10年ほど前に発行された冊子でした。

「白秋」という名がどうしてついたかは、ここでは触れませんが、その後私は早速発行人の原 達郎さんに電話をしてその冊子を入手しましたが、その時この原さんから「会社をリタイヤーした後、わざわざ横浜から柳川に来て、しかも船頭になりたいなんてこと、どうして考えたのですか?」と質問されたのです。

「昔一度柳川の川下りをして、その時、会社を辞めたらこの船頭をやろうと決めたんです。まさか本当にやるとは自分でも驚いてるんですがね。回りは変わってると変人扱いしてます」と答えました。

昨年の5月から月一度1週間程度休みをとって柳川へ通ってたこと、9月から久留米に住まいを定めて毎日柳川へ西鉄電車に乗って船頭の修行に通ってることもです。この話が実は冒頭の新聞記者さんの耳に入り、取材とあいなった訳です。

ということで明らかな様に、まだ半人前の船頭で、柳川そして周辺のことについても未知で、見るもの聞くことすべてがゼロからのスタートですが、私の感じたままを「船頭の奮闘記」ということで、これから皆さんにお伝えしていこうと思います。

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